プロフィール

1962年
香川県高松市生まれ
1980年
香川県立高松高校卒業
1986年
成城大学文芸学部卒業後、サントリー(株)入社。飲食店の新規事業開発プロジェクトチームにて、メニュー開発などに携わる。
1989年
長野県長野市に転居、出版社で地域タウン情報誌や信濃毎日新聞連載コラムの書籍編集に携わる。
1991年
神奈川県横浜市に転居、港区の地域コンサル会社に入社。青山表参道商店街の地域情報誌編集長を務め、商店街のイベント企画にも参画。
1994年
フリーランスの編集・ライターとして独立。スポーツ、食、旅行、映画(エンタメ)など、多岐にわたって執筆活動。
2000年〜
IT広報制作会社カプス(現News2u)の契約社員として、「東京国際映画祭公式」サイト、インパク(総務省)、イントラネット「ペタロウ」(博報堂)の公式コンテンツ企画・制作などに携わる。
2002年〜2006
スポーツライターとしてスポーツ番組を担当。(bayfm)
2005年〜現在
憲法と社会問題を考えるウェブマガジン「マガジン9条」を立ち上げ、編集総括他、イベント「マガ9学校」を企画実施。
2012年
東京都豊島区に転居。
2014年
女性の政治参加や平等を呼びかけた「怒れる女子会」弁護士の太田啓子さん、ジャーナリストの山秋真さん、現愛媛県愛南町町議金繁典子さんらと結成。集会などを実施し、反響を呼ぶ。
『女性が動けば変わる。』の企画を国際NGOグリーンピースとコラボして実施。
2016年
「12歳からの憲法ワークショップ」(共催:しるしる憲法)を企画・実施。
2017年
豊島区内の居場所づくりプロジェクト「グループとしまる」に参加。
トークイベント「つながる場所のつくり方」(ゲスト雨宮処凛さんなどを企画・運営に参加。)
2018年
マガ9対談「森永卓郎さん×井上智洋さん」を企画・実施。「財政再建化」の名の下でおこなわれる国の経済政策の弊害・過ちを指摘。
2019年
豊島区議会議員初当選。現在無所属議員として活動中。

(区議会議員に立候補した理由)

私は2005年3月から、マガジン9を中心に憲法や社会問題に関わってきました。40歳までは「ノンポリ」だった私ですが、憲法の先進性や重要さに目覚めてからは、憲法が改悪されてしまっては大変だと、私のように目覚める人たちを増やすのは、「知ってしまった私」の責任ではないか、と思い広める活動をやってきました。
しかし残念ながら、マガジン9をスタートした14年前よりも、日本国憲法の理念であるところの「平和・自由・個人の尊厳」が、ないがしろにされているように感じてなりません。憲法改正を強く主張する政治家が長く首相の座につき、与党は絶対的な多数を握っています。いつでも国会において発議ができる状況にある今、草の根から、リアルな関係で憲法の理念が大事だと考える人たちとつながり、顔が見える関係を作っておかないと、インターネットだけの関係はあまりにも脆いのではないか、と思うようになったのです。
マクロの目でみると、どう考えても今の日本社会はおかしなことになっています。与党が圧倒的な多数のため、国会で十分な議論がつくされないまま、次々と成立する重要な法案。奨学金という莫大な借金を背負わされる若者、原発事故のため今もなお、ふるさとに帰ることのできない、3万以上もの人たちがいる。沖縄・辺野古に基地をいらないという人たちが、非国民と呼ばれる。生活保護は、憲法25条で保障された全ての人が持つ権利なのに、打ち切られ自殺に追いやられる人がいる。経済政策の失敗で、長く続くデフレのせいで、賃金は上がらずに、世帯年収はこの20年で120万円も下がっている。格差は広がり続け、子どもの貧困は7人に一人と言われながらも、孤立して見えにくく、働けない引きこもり状態にいる人は、50から70万人以上いる…などという状況があります。
その一方で、自分の足元や地域に目を移すと、地域で支え合う人たちの姿があります。困った時に「助けて!」といえる関係をつくり、血縁関係がなくても、親身になって支え合う人たちがいます。私も実際には、いつもご近所仲間には助けられています。全国にあっというまに広がっていった「こども食堂」もその典型かもしれません。いったいどちらが、本当の日本の姿なのでしょうか?
どちらも本当です。希望は「私たち普通の市民の中にある、地域にこそある」ということに、私は気がつきました。
「民主主義は、観客席からながめているだけではダメ、フィールドに出てプレイヤーになりましょう。男性中心で権威主義的ないわゆる“おっさん政治”を終わらせるためには、決定権のある場所に、女性が一人でも多く入らないとダメですよ。そのチャンスが来た時には、断ってはいけません…」などなど。これらは、私が様々な取材の中で、尊敬する活動家や作家やジェンダー研究者たちにインタビューをし、それに共鳴をして、コンテンツで発信してきた言葉です。
これまで編集者という裏方仕事をしてきた私にとって、人前で話をする仕事は、向いていないと思っていました。正直、恥ずかしさもあります。しかし、それで立候補の打診を断ってしまうことは、私がこれまで人に伝えてきたことと相反する、それでは筋が通らない。私の14年間を自らが否定することになるのではないか、そう思い至るようになりました。
実は、私自身の計画として2019年は、私が14年間マガジン9でやってきたこと、大事だと思ってきたことを、地域で実践してみたい、という考えも持っていました。これまでは理念として大切に考えていた、「一人ひとりの個人の尊重し、多様な価値観を認め支えあう共生社会、インクルーシブで、平和、自由な社会をつくる」とは、実際にはどういうことなのか。これを、区民として、地域の自治にコミットし、市民の立場としてのネットワークづくりや居場所づくりをしたいと考えていました。ソーシャルビジネス、スモールビジネスをスタートアップしたいとも密かに考えていました。
しかし立場は違えども、市民の側に立ち、行政と議会をつなぐ役割を担う、というのも地域での「実践の場」に違いありません。そう思い、立候補を決意したという経緯があります。

地域でつながって、ボトムアップで草の根で、平和で自由な社会に変えていきたい。誰かの言いなりになる社会、窮屈で不自由で不寛容な社会と決別するために、私たちの手に政治をとりもどしつくっていきたい。その思いで現在、活動をしています。